第230回 日本の城
この城は、小野川(縦渕川)の南、高さ8m、東西47m、南北86mの丘の上にあったが、明治21年(1888年) 土佐街道(今の国道33号線)がつくられたとき、取り崩された。
このとき切り石垣が出てきたという。
伊予の豪族河野氏は、源氏と結んで勢力を伸ばしたが、承久の変(1221年)により没落した。
このとき、鎌倉の味方をした庶子の通久は、功により久米郡石井郷をもらって家督を継ぎ、縦淵城を築いた。
その後、同母弟の通継を経て、河野通有が跡を継いだ。
通有は、弘安の役(1281年)において、「河野の後ろ築地」と呼ばれる勇気や蒙古の軍船に乗り込む等の勇猛振りで、全国に名を轟かせて勢力を回復した。
その後、通盛の代になって、湯築城を築き、伊予平野の中心地に
出て勢力を伸ばし、国司に任じられるようになった。
【河野通有石像】
松山市 井出神社にあります。
最初は縦淵城址の神社に立てる予定が、境内が狭いため中止になったそうです。




















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